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卒業生のトホホな朝に⑥

 投稿者:トホホ1号  投稿日:2007年12月29日(土)18時42分31秒
返信・引用
  よくよく考えてみれば、もう仕事納めが済んじゃったメンバーも多いことだろうし、年末の忙しい時期に、わざわざ会員の広場の更に奥まで入って、ここまで辿り着く人も少ないだろうなということがわかりました。
12月31日をもって今年のホームページも、次年度の管理者の手によって、恐らくかすりもしないくらいに跡形もなく葬り去られることが予想されるので、西澤委員長が最後に「ちょこちょこ」としみじみとチェックして終わっちゃうんだよねぇ、きっと。

さて、木村理事長が一生懸命ブログを頑張ってくれてます。エンジンがかかるのが遅すぎたっ!などというご意見はこの際無視するとして、彦根青年会議所の理事長は木村浩一郎君で54人目。たったの54人しかおいでになりません。私は入会して初めてハンドブックを目にした時に、「たった40人しか理事長をしていないのか(40周年でしたので)」と生意気なことを思い、それなら理事長をやってやろうと、その時は心に決めたのです。まぁ途中で「もういややっ!」という時期もあったので、紆余曲折はあるわけですが。

Q.理事長はお金がかかるんでしょ?300万円くらいいるの?
Q.理事長した年は仕事ができないんでしょ?
Q.理事長になったら、家族サービスや遊びにもいけないんでしょ?

上記のような疑問を抱くメンバーが多いと思います。でも全て答えはNO!です。
私なんて、まだ時効じゃないからここでは書きませんが、「理事長なのに・・・」ってくらい時間をチョー有効に使って、今まで生きてきた中で最も時間の使い方が上手かった一年だったと自負しております。

できることなら、理事長をやってもらいたいです。かけがえのない一年を過ごせます。

言いたいことの半分も、皆さんには伝えられなかったけど、不平や不満を言うくらいなら、自ら進んで物事の解決に当たってほしいと思います。自分が挑んでみてはじめてわかることや解決できることがきっとあるはずです。委員会の中でも、みんなで考えて考えて考えてみれば、必ず打開策や名案が浮かぶはずです。これは私の15年間の経験則ですので間違いありません。

期待されるJCとして、期待に応えられるような活動を、心から期待しております。

ありがとうJC。

さようならは、言いません。



遺言状みたいになってきましたが、「僕は死にましぇん」。
 

卒業生のトホホな朝に⑤

 投稿者:トホホ1号  投稿日:2007年12月21日(金)13時39分33秒
返信・引用
  昨日、事務局で、ZTVの収録が行われました。
カメラを回し、コメントを求めるのはZTVの女性スタッフ。
メンバー10人ほどがカメラをじっと見つめ・・・が、しか~し、その女性のスカートが異常に短~い、ア~ンド前かがみになった時に、野郎ばかりのメンバーの視線はカメラではなくある一点に、集中ぅ~!

な、今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

さて、昨日は、誰も口にはしませんでしたが、メンバーの胸中はHなこびとが大騒ぎでした。
明日はいよいよ最終理事会です。充分な議論が尽くされた議案を慎重なる審議でもって、最後の理事会に相応しい議論が尽くされることを期待しています。
最終理事会で思い出すのは、やはり私が理事長を務めさせていただいた2002年の理事会です。全ての議案を通していただき、最後に皆さんに御礼を述べさせていただきました。その際、感極まって思わず涙がこぼれてしまいました。
詳細は記憶しておりませんが、一年間の活動を通して、「青年会議所活動を続けたくても、続けられない事情がある人もいる。青年会議所活動に参加できることを喜びとし、そんな人の分まで青年会議所活動をしてほしい」と、その理事会で退会が承認されたメンバーに思いを馳せた時、泣けてしまいました。その年、ある委員会の副委員長として一生懸命頑張ってくれたメンバーが、退会されました。理事長として、とても辛い思いをしました。この時は決して泣くまいと決めていたのですが、やっぱり泣けてしまいました。
「青年会議所活動を続けたくても続けられないメンバーがいる」ことを、皆さんには知っていただきたいと思います。そして、そんなメンバーの分まで、青年会議所活動を頑張ってください。

私が青年会議所の活動の中で涙を流したのは、2002年の最終理事会と、先日の家族会の2回だけです。
泣きすぎかもしれませんが。
 

卒業生のトホホな朝に④

 投稿者:トホホ1号  投稿日:2007年12月18日(火)17時45分50秒
返信・引用
  今日、来年1月の京都会議の案内がFAXで送られてきました。
事務局の中村さんの誤送信なのでしょうが、いつからFAXを事務局員さんが送信するようになってしまったのでしょうか?かつては事務局に出向いて、これとこれを誰に送ってほしいとお願いしてはじめて、送信されていたのに・・・。メールなどの便利な道具は、人を横着にする凶器でもあります。

( ̄ー ̄)ニヤリ・・・京都会議、出席で返信しちゃおっかなっ?

さて、2000年に日本JCに副議長で出向しない?ってお誘いの話の続きですが、その電話を受けたのが、大阪の高槻駅のホーム。そのころ、結婚6年目にしてようやく子どもを授かり、それまで通っていた高槻にある不妊治療の専門医の先生に御礼を兼ねて妻と二人で高槻駅のホームに降り立ったところでした。
ようやく授かった子どもを出産するまで、不安を抱えながらの妻の日々を思う時、私は日本JCに出向するなんて、とても切り出せるわけもなく、また妻を説得する気持ちさえもその時は芽生えませんでした。
「卒業するまでに、せめて日本JCの副委員長か副議長くらいは・・・」若かりし頃のそんな戯れ言が、この時ほど空虚に胸の中に響いたことはありませんでした。返す返すも、あの時出向していれば・・・と大きなチャンスを無念に思ったことはありません。でも、それ以上に大きな宝を授かったのですから、贅沢を言うつもりはありませんが、前年に引き続いての2度のチャンスを逃したことで、JCに対する私の価値観は、否が応でもLOMに軸足を置くことを余儀なくされ、またそれが結果的に、次の年に理事長予定者として声がかかることにつながったものと考えると、「皮肉なものよのぉ」と嘆かざるをえません。

日本JCの出向で得られる経験は、LOMやBOMの比ではありません。これはLOMやBOMを否定しているわけではなく、様々な面においてスケールが違うということです。麻生太郎先輩がこんなことを雑誌で語っていました。

「日本JCに出向して、弁は立つしビジョンも持っているし、スゴイ奴がいるなぁと思って帰ってそいつの会社を調べてみると、なんのことはない大した会社じゃないとわかる。なぁんだ、JCはしゃべりとハッタリでのし上がっていけるのかと考える。じゃあ俺だってやってやろうじゃないかと思うことができる。それがJCのいいところなんだ。」

これを数年前に読んで、私が日本JCへの出向を楽しいと感じる謎がスーッと解けた気がしました。いろんな奴がいていろんな考え方ができる日本JCは、本当に様々な経験ができます。月並みな意味や言葉じゃなく、本当にチャンスがあれば、若い人には何度でも出向してほしいものです。

ちなみに、遊び方のスケールも違いすぎます。ある年のサマコンでは、大きなクルーザーで・・・あぁ、ここでは書けない(((p(>v<)q)))!!
 

卒業生のトホホな朝に③

 投稿者:トホホ1号  投稿日:2007年12月11日(火)10時56分32秒
返信・引用
  家族会後の、現役メンバーの歓待ぶりに気をよくした私であったが、朝の目覚めと同時に左膝に違和感を覚えた。

前の晩、JC卒業生である私にOZAKIが降臨し、カラオケで「卒業」を熱唱しながら、OZAKIが生前コンサートで披露していた「スライディングしながらの祈りのポーズ」を何度も再現してしまい、膝がえらい傷になっている。

「うわぁしまったあぁぁー」。
酔っぱらいとはこんなものである。

あれから私の気分は、ずーっとトホホである。
ホームページにUPされた写真を見てはトホホ、傷口を見てはトホホ、やけに汚れたネクタイを見てはトホホ。
あといくつかある忘年会と最終理事会でも、きっとトホホが待ち受けていることだろう。

さて、次号からは「つぶやき」の続きを書きます。
 

卒業生のトホホな朝に②

 投稿者:トホホ1号  投稿日:2007年12月10日(月)18時29分16秒
返信・引用
  ブロックリレード&例会&総会&理事会&家族会&じゃがいも・・・と続きも続いた先週一週間。
例会終了後の翌朝のトホホぶりを反省した私は、7日の総会&理事会のあとは実に謙虚に、数名のメンバーの方々に「天一逝き」を告ったところ、さすがにトホホぶりを嘆いてか、快諾してついて来てくださいました。ありがとうございました。

一昨日の家族会は、アジェンダにない「42レンジャー」の登場は、最終理事会での「卒業生による委員長潰し」を狙った自作自演との噂もありますが、全くもってその通りです。「アジェンダにない演出があったが費用はどこから発生してるんやっ!」てな怒号が、理事席から飛び交うことが予想されます。誤爆や自爆にご注意ください。

さて、私の涙の演技力が光ったその家族会。

私の「泣き」が功を奏したのか奏してないのかわかりませんが、家族会終了後に大勢のメンバーが卒業生を囲んで2次会を開いてくれました。お世話になった皆さんありがとうございました。普段は、先輩にも冷酷な仕打ちをする高校バスケ部の後輩O君も、この日だけは存分に、私にOZAKIを歌わせてくれました。ありがとう。

この日、この夜だけは、ウフフな夜でしたが、酔いが醒めた翌朝、私はまたまたトホホな朝を迎えるのであった~!

続きは明日。
 

卒業生のトホホな朝に①

 投稿者:トホホ1号  投稿日:2007年12月 7日(金)10時48分42秒
返信・引用
  今日から、タイトルを改題します。

昨日は、12月度例会お疲れさまでした。相変わらずの時間オーバーは、本年はご愛敬では済まされないレベルに達し、リミッターを完全に振り切っていたように思いますが、私もその責任を痛感しておるものの、ラストメッセージで「変化や変えることを恐れずに果敢に挑戦を」と言ったことが早速に功を奏したのか、例年なら袋町行きのバスにメンバーが乗り込んで、とりあえずワーッてな感じでお酒を飲みに行っていたはずが、そんなの関係ない風に「変化」し、トホホな夜を過ごした私ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

そういう意味や、そういうことで「変わること」を求めたわけではありませんのに、皆さんご理解が早くていらっしゃる。

昨夜の顛末を今朝、妻に話したところ「時代は変わったんだって。勇治がいた頃が懐かしい」などと、知った口を利かれ、慰められた次第です。

本来なら前の投稿の続きを書くべきですが、今朝はどうにもトホホな朝を迎え、先に昨日の回顧録をしたためた次第であります。
 

「卒業生のつぶやき」その2

 投稿者:逆命利君。  投稿日:2007年12月 4日(火)10時26分6秒
返信・引用
  乙。

昨日は、2007年度滋賀ブロック協議会のリレードセレモニーが、草津の地で行われました。ラストイヤーに光栄にも、ブロック協議会の監事という役職をお預かりし、最後の一年間に新たな出会いに恵まれる機会を与えていただきました。拾い上げていただいた山本ブロ長はじめ島本直前会長など隠密同心の皆さんに感謝すると共に、快く送り出してくださった木村浩一郎理事長に心から御礼申し上げます。

さて、ブロックへの出向は、15年間の在籍期間の中でも3年ほどでありましたが、実は日本JCへの出向も3年ございます。
まずはじめは1996年の業種別部会運営会議。これは能登川青年会議所から議長を輩出することになったはいいものの、従順な若いしもべが身近なところに見あたらず、近隣LOMからかき集められ、彦根からは木川君と私が出向することに。秋田県の僻地の温泉まで、飛行機に乗って委員会に出席しました。この時初めて、実にいろんな人材を送り込んでくる日本JCの凄さを知りました。

次の出向は1998年、NPOでつくるコミュニティ推進委員会。かの民主党参議院議員になられた「ぶって姫」や、野田聖子衆議院議員の元旦那、鶴保庸介参議院議員も同じ委員会でありました。ぶって姫とは同じ小委員会で、その豪放磊落な性格に、精神的にぶたれた印象が色濃く残る出向でありました。この時の副議長は敦賀JCのスバルのディーラー。この方に多くの知識と遊びをたたき込まれました。この方との出会いは、私のJC活動の中で、ひとつの大きなターニングポイントになったように思います。伝説のホタルを伝授されるも、LOMで披露するわけにいかぬまま、未だに封印は解けません。こんなに楽しい一年はありませんでした。

最後の日本JC出向は昨年になるわけですが、その前に・・・

1999年の夏の終わり、敦賀のスバルから電話をいただき「来年、日本の委員長をするから出向してこい」との命令が。しかし翌年に副理事長を受けていた私は、一応理事長予定者に相談を。私には、出向の障害となる不安材料が少しあった。同じ副理事長の一人が、時を同じくして業種別部会の部会長を、翌年受けることになっていただけに、副理事長が二人も出向することに、おそらく予定者は難色を示すだろうと。予想は、見事に的中したのです。「すまんけど、出向は控えてもらえないか」。副理事長たるもの、理事長の命には絶対服従である。
残念ながら、2000年は私にとって幻の出向となったのです。
しかし話はまだ続きます。
その一年後、同じ敦賀のスバルからまた電話が。「日本JCの50周年を考える会議の議長が、若くておもしろい人材を副議長として探してるからお前どう?」。
日本JCに出向して以来、議長や委員長はもちろん、副議長や副委員長なんて、有る程度のパイプを持ってないともらえない役職じゃぁあ~りませんか!本当に私でいいのかぁ~?という思いが去来しつつも、電話口で「えぇ~?えぇ~?」と何度も繰り返していたことを覚えています。
しかし、ここでまたひとつの問題が私を襲うのでした。

続きは次回に。

では。
 

久々のUPでつか

 投稿者:携連学さん(灰)  投稿日:2007年11月30日(金)19時49分19秒
返信・引用
  よんひゃくねんのときをこえ~たくましくいきよぉぉおっ  

Re: 卒業生のつぶやきその1

 投稿者:逆命利君。  投稿日:2007年11月28日(水)12時49分22秒
返信・引用
  > No.14[元記事へ]

2ゲット!

って

あれ?この板コメントできないの?
2ちゃん風?
 

卒業生のつぶやきその1

 投稿者:逆命利君。  投稿日:2007年11月28日(水)12時46分14秒
返信・引用
  彦根青年会議所メンバー皆さんのおかげで、彦根青年会議所にとっての400年祭も無事に終わりました。
思い起こせば昨年の「夜樂」にはじまり、「野楽」そして今年の「サウンドラリー」と、皆さん同様、私も400年祭に振り回された感のある一年間でした。
400年祭実行委員会のホームページを覗いてみると、去年の事業のレポートなんかもUPされていて、結構懐かしかったり致します。しかし、久しぶりに「夜樂」の提灯が灯った時は、感慨深かったことが思い出されます。
「野楽」では、初めてお濠にカヌーを浮かべる荒技を思いついた時は、我ながらその感性を自画自賛いたしましたが、その後の道程は、「LOMの理事長や委員長をしていた時の方がどれほど気楽であったか」と思えるほどの苦労と心労の連続でありました。でも、あの時の正面突破が、屋形船の運航に道筋をつけたものと、これまた自画自賛しているところでございます。「野田知佑なんてよく思いついたね?」こんな質問を未だに頂戴することがあります。
私が彦根青年会議所に入会した1993年、当時の井戸真也社会開発委員長が開催した琵琶湖での事業で、野田知佑さんと子ども達がカヌーに乗る企画がありました。これが非常に印象的で、着ていたスウェットにサインをいただいたほどです。で、「野田野楽」を思いついた時に、井戸先輩に電話すると、この先輩のスゴイところで、これまたすぐに手帳に記載してあったのであろう野田さんの連絡先をお教えいただいたのです。こんな経緯で、野楽は開催に向けて走り出したのです。
しかし私は、1993年以前に、野田さんの名前を深く刻みこまれる出来事があったのです。
それは、かつてお付き合いをしていた女の子が、「作家・椎名誠」の大ファンで、椎名氏と野田氏は親友であり、私が20歳頃の野田氏はカヌーに、今のアレックスではなく、椎名氏の愛犬「ガク」を乗船させて、イベントや旅に出ていたのです。そんな細かい事情を私が知るにまでお育ていただいた、昔の彼女のおかげもあって、野楽は成功し、ひいては400年祭プレ事業が盛り上がったと言えるのではないでしょうかって、言えないか・・・。

私も卒業まであと1ヶ月。

気が向いたら、ここに書き込みしますので、気がついた方がおられたら、コメント残してください。お願いします。

では。
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  |  《前のページ |  次のページ》 
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